干物女の黒歴史ⅲ

干物女の黒歴史ⅲ

自我がすっっっごい

人柄キャプテン

スポーツ少年団に所属していたわたしは、毎週火曜日と木曜日に一度家に帰ってきてから粉ポカリを作って学校に戻っていた。
同級生や先輩とスポーツをしている時間はとても楽しい時間ではあったが、運動音痴なので少しの息苦しさも感じていた。わたしの幼なじみであり大親友は正反対。母親が指導者をやっていたあいつは、やはり血の力は強しでスポーツが万能だった。バスケットボールもソフトボールも水泳もかけっこも全て1位を争う実力だった。

で、それでだ。

リピートアフターミー母親が指導者をやっていた…OK?アーハーン…お母さんが監督、OK?ということでやつは一番バスケが上手いのにも関わらずキャプテンになることが出来なかった。今でいうぴえん案件なのだが、それで白羽の矢が立ったのがすっとこどっこいあきやばし。当時のわたしは今よりダークではなかったし今より八方美人で誰からも嫌われたくない・敵を作らない人間であったので、適任だと思われたのだろう。

「スタメンじゃなかったのに人柄だけで選ばれてキャプテンになった」と今では笑い話にして言えるが、当時は本当の本当に嫌だった。

そりゃ傷つくよネェ!?!?!!?ド下手なのにキャプテン。控えメンバーでベンチを暖めているあの子が試合終了後急に誰よりも大きな声で皆を整列させ「ありがとうございました!」と叫ぶ。驚くよネェ。背番号確か13番。4,5,6,7,8,9,10,11,12,13←ココ。男子のキャプテンは勿論一番上手い子がなっていた。そりゃそうだ。きっと今にして思えばなにか大人たち指導者の思惑があったのかもしれないが、小学生のわたしにはきつかった。もう本当に嫌だったわ…。ただでさえスポーツができないことで傷ついていたプライドがもうぺしゃんこになってアルミ缶。缶蹴りで飛ばされていくようだった。

多分そのときにつらすぎて(もちろんメンバーは皆優しかったし、悪口を言われた覚えはひとつもないのだが)防衛本能から記憶があいまい。だけどそのときに励ましてくれた母が運転する車内でかかっていたスピッツの「空も飛べるはず」は今でも鮮明に覚えている。いま前奏歌いながらこのブログ書いてる。幼い微熱を〜。毎回送り迎えしてくれた母。試合にも常に応援しにきてくれた母。母は、振り返ってみてもやっぱりいつも味方。一生味方でいてくれる存在にSO感謝ベリーマッチ。

今思えば、そんなに嫌なら断ればよかったんだよな~。
きっとアラサーになった今なら自由に空も飛べるはず! 

 

せばまんつ☆

 

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