干物女の黒歴史ⅲ

干物女の黒歴史ⅲ

自我がすっっっごい

ZEN ZEN 自立してない

東京に出てきてはや10年、その間秋田が恋しくて泣いたことは一度もない。

親からは自立しているといえるだろう。

「自立」って楽しい!毎日全裸で過ごしても毎日やよい軒に行っても怒られないんだから!やよい軒でいくら食べ放題の細切りたくあん食べても怒られないんだから!!やよい軒でハンバーグ定食にプラスしてフライドポテト単品付けても怒られないんだから!!!

やよい軒のことばっかりになってしまった。

 

なぜ一度もホームシックにならないでいられたんだろう。それは「友達」がいてくれたからだ。いつもいつも遅刻する私を待っていてくれる友達。時にはドタキャンしてしまってもまた遊んでくれる友達。鍵を会社に忘れたときに泊めてくれる友達。私の家でご飯を作って待ってくれている友達。ピザを小麦粉から作ってくれる友達。朝ごはんはフレンチトーストまたはお粥を作ってくれる友達。洗濯をしてくれている友達。

そんな友達のひとりに、テルマー湯で炭酸風呂に浸かりながら、なんで怒らないの?と聞いてみた。

「もう一周まわった」

彼女はそう答えてくれた。確かに怒る時期もあったけど、もう今はそれありきで一緒にいるから。それを考慮して予定を組んでいるから。

 

こんなことがあった。

大学生のときに高円寺南から高円寺北へと引っ越すとき、引っ越し業者さんがくる前日にまだ1ミリも引っ越し準備をしていなかった。本当に何やってんだろう。もちろん段ボールも届いた状態のまま、組み立てもされていない。そこで急遽友達3人が深夜に来てくれて、荷造りを手伝ってくれたのだ。しかも当時は超汚部屋住人、足の踏み場もない中散乱する物を掻き分けるところからのスタート。阿鼻叫喚の雨嵐…そこからなんとか間に合って引っ越しが出来たのであった。ありがたい…。それなのに当時はおふざけ大学生、お礼はすき家奢りのみ。薄謝中の薄謝じゃないかッ…!!!本当にありがとう。

 

こんなこともあった。

2年前に今住んでいる家に引っ越してきたときのこと。荷造りはなんとか1人で終えたものの、腰をやられた私はずっとベッドに寝たきりになってしまった。引っ越してきた当日に大量の段ボールに囲まれながら腰を痛めて横になるしかない。あれ、これが人生の終着点?良き人生じゃった…と、そのとき友達2人が来てくれた!湿布と、引っ越し祝いのスタバのマグカップを持って。本当に本当にありがたかった。2人の力で荷ほどきは完了。服も畳んですべて収納。更に遅れてゴメン…ともう1人お菓子を持ってきてくれた。その後に4人で食べた鍋は美味かったなぁ。料理をしないので調味料なんてもちろんない我が家に、わざわざ家から塩と胡椒をジップロックに入れて持ってきてくれていた友達。重ねて御礼申し上げます。

 

 

なにこのくずゴミエピソードたち。全然綺麗にまとめられないよォ!!!!!!!!!!てかいま思い出した!西葛西の寮から高円寺南に引っ越したときも寮の友達が荷造り手伝ってくれたわ!!!!!!!!!!それも当日にやばい!!!!引っ越し屋さんがくる!!!!とギリギリで大騒ぎして手伝ってもらったっけ。神さまのような友人たちしかいないよォ…!!!!!!つまり友達がいたから自立した気持ちになれてたってコトだね!!!!!!!一人暮らしという自立をして、友達の有難さに気が付きました!!!!!!!支えられての自立!!!!!恩返ししてこ!!!!!!

 

 

 

 

 

まだまだ友達からの自立はできなそうだ。

だが、私も友達を支えられるような人間になりたい、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

なにこれ。