干物女の黒歴史ⅲ

干物女の黒歴史ⅲ

自我がすっっっごい

★2019年のMOTTO★

2018年、私は私に「人それぞれ」「人による」「これが普通、なんてない」と思わせることに躍起になっていた。私は私にって、ポルノグラフィティっぽいな。名曲サウダージ

 

例えば、

「本当に幸せなときはSNSに載せないものだ」

という言葉。

こういう言葉を見たときには必ず「私は」を付けるようにしている。人類全般の話を言っているのではない。これはあくまでこの言葉を言った人はそう思う、というだけなのだ。「私が本当に幸せなときはSNSに載せない」とこの人は思っている。うんうん。この人にとってはそうなんだね。それは尊重する!この人にとってがそうなだけで、自分が幸せじゃないなんて心を痛める必要なんてない。

 

さて、自分はどうだろう。

「私は本当に幸せなときはSNSに載せない」

そうか?まぁ確かに楽しすぎてスマホを取り出すことすらも忘れているときはある。

「私は本当に幸せなときはSNSに載せる」

めちゃくちゃ楽しい気持ちで(例えば友達とフェスに行ったときなど)ウェーイ!フゥ〜!!!とインスタのストーリーに載せるときだってある。しかも後から見返すことで幸せも倍増だ。

 

ここに書いてある通り、私はSNSに載せているから、この幸せは本当の幸せではない。と自分が幸せだと感じていることをわざわざ否定するのは愚かなことだ。でも今までの私はそうだった。SNSに呟いてしまったから幸せじゃなかったのかな。自分は見せびらかしたかったのかな。SNSに書くことで得られる幸せなんて。「私は」どうなの?とか考えられていなかった。でも今は言える!超幸せなときもSNSやるよ!!!

だが勿論、苦手な人のSNSが目に入り、この人たちはSNSに載せてるから本当に幸せではないんだな。と自分を守ることはいくらでもしていい!と思う。全ては人それぞれだし、自分次第なのだ。

 

昨日、田中圭一さんの『うつヌケ』を読んでいたら、まさにこの考えが書いてあった。

・「~ねばならない」という、固定観念を捨てる

・ありのままの自分を受け入れる

誰かがこうしてるからこうしなければならない。皆がこうしてるからこうしなければならない。この考えを捨てたら本当に楽になった。

 

私は自己愛が強すぎて自我がすっっっごい。承認欲求もすごい。でもなにがだめなんだろう?強いて言えば自分の機嫌を人に依存する部分があるところ?それは困る。尊敬する先輩には「自分の機嫌は入浴剤で取れ!」って言われるし。自分の機嫌が自分で取れるようになったらサイコーハッピーな人生を送れるのだと思う。ただ、大部分は依存していない。「人との関わりがある」だけで承認欲求は満たされるのだ。獣になれない私たちでガッキーが言っていた。友達が泊まりに来ているときはこの世界に2人。昨日は男友達と飲んだまま寝ちゃってそのあと朝ごはんにコーヒーを飲みに。それも2人だよね。1,000回ハグする女友達もいる。これじゃだめ?これでいい。わたしには一緒に住んでいるもりがいる。毎日LINEする友達がいる。毎年旅行にいる親友がいる。お笑いライブに行く友達がいる。一緒にランチに行く友達がいる。あけおめLINEを送り合う友達がいる。そういうひとつひとつ、それだけで承認欲求は満たされるのだ。

 

 

 

2019年はこの一つ一つを大切に生きていく!